集団的自衛権行使容認と創価学会・公明党のこと

2015年6月4日の衆議院憲法審査会で、憲法学者3名を招いて参考人質疑を行った。そこでは、集団的自衛権の行使容認について、全員が「憲法9条違反」を明言している。

自民党公明党集団的自衛権を容認する解釈改憲をしようとしたら、学者から違憲と言われたのだ。


最高裁判所の判断の権威性を主張をしつつ、その権威に従わない自民党の二枚舌

自民党国会議員は、学者よりも最高裁判所の判断がもっとも権威があるなどと言い出して火消しに走っている。

内閣法制局ではなく最高裁の判断に権威があるなら、 創価学会公明党政教分離問題に関して、内閣法制局の発言を根拠に問題は決着済みとしている議論は、再び蒸し返すことができ、創価学会公明党政教一致であると主張しても差し支えなくなる。

ついでに、一票の格差問題について違憲状態であるという判断や、婚外子差別の判断についても、最高裁判所の権威を重んじて欲しいものである。

しかし、ここまで判りやすい政治家の二枚舌とか初めて見聞した。

あと、人選ミスと表明したり、問題無いと主張するところに、参考人質疑の無意味さやセレモニーさがあり、税金の無駄遣いでしかない。学者側にしたら時間の無駄遣い。


集団的自衛権行使は憲法違反

憲法違反かどうかに関して、よほど偏った学習でもしていない限り、憲法違反だという結論に至ると思う。いちおうは憲法を学んだ私も、憲法違反であると結論づけている。

一部の法律クラスタでは、合憲であるなどと発言すると、教えた教授は誰なのかまで調べ上げられるらしく、発言者はともかく教授まで馬鹿認定されてるようだ。

公明党の議員には、創価大学出身者が多いので、そういうことになってしまう。


●軍事的競争と人道的競争

創価大学の建学の精神の1つに「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」というのがあり、最近の公明党には、そんな片鱗も見かけなくなった。

さらに、創価大学の創立者の師匠の師匠は、人類の進むべき道として、軍事的競争ではなく、経済的競争でもなく、人道的競争であるべきだと主張している。

ところが、集団的自衛権に絡む法制は、軍事的競争を促すものでしかない。

それか、軍事的結果人道的競争みたいな、重畳的な概念を創設して、そろそろ概念が時代遅れみたいにするのもいいかもしれない。

ただ、この概念を拡張すると、日本への原爆投下は、民主主義を確立させたのだから、表面的には軍事的競争ではあるが、結果的には人道的競争であると主張できてしまう。


創価学会婦人部の無学さ・無知さ

こんな最中、公明党創価学会婦人部を説得できるかどうか検証してみると、集団的自衛権はおろか、憲法とは何なのかもよく理解してないから、大丈夫のようなようで、説明しておけば簡単に騙せそうである。

旦那の給料で飯食ってる幸せな人達だから、別に難しいことを知らなくてもいいし、旦那の気分を良くさせて、学会活動していれば幸せな人たちだし。ある意味、高等遊民

そういえば、創価大学の創立者は「無学は闇、無知は悲惨」だから、二度と戦争を起こさないように学べとも仰っており、自分の保身しか考えず軍事的競争への道を切り拓く公明党の輩と、創価学会婦人部の無学さや無知さがとても恐ろしい。

なお、公明党の地方議員や創価学会婦人部の中には、いまだに理想的な平和を主張する方もいるので付記しておく。


●終わりに

自民党は武装したくて必死だし、力の無い公明党の輩も乗じるしか活路が無いし、創価学会婦人部は騙せるから大丈夫ってところに来てます。

自民化勢力と平和的勢力で対立できそうだし、教祖的存在が亡くなるなど求心力を失うと、割と瓦解しないかなと思ったり。